働かなくても食ってゆける世界は,実は常に世界中のどこかに存在していた。それもかなり古くから。
一番古くて際立っている「そういう世界」は多分古代ギリシャなんじゃないか。いわゆるポリスと呼ばれる都市に住んでいた市民は,生きる糧を得るために肉体労働をしたりしなかった。戦争に備えて腹筋したり,政治に関わったり,哲学や芸術に傾倒したりした。肉体労働をしたり食べ物を作ったり家事労働みたいなことを担っていたのは奴隷と女性であった。古代ギリシャの「市民」とは言ってみれば中世の貴族みたいなもので,いわば特権階級である。圧倒的多数の単純労働に支えられて,一握りの人間のために「働かなくても食ってゆける世界」を実現していたようなものだ。
産業革命が起こったり内燃機関が発明されたり安価で効率のよい通信手段が開発されたりして,現代では古代ギリシャの「市民」レベルの低労働で暮らしてゆける人の割合はずっと増えていると思う。でも,そういう人たちを支えるためにはより多くの非効率な労働が必要っていう図式は,現代も古代ギリシャとなんらかわりないと思う。技術が進めば人類は単純労働から解放されるのかも知れないが,それはずっと未来の話,少なくとも僕らが生きている間には実現しそうにない遠い未来の話だ。
で,もう一つ。「働かなくても食ってゆけるようになったら働かないのか?」というとこれはぜったいにNo。仕事というのは糧を得る方法であると同時に社会と関わりを持つための手段でもある。社会とかかわらず生きるよりも,忙しくても仕事があって,仕事を通じて誰かから感謝される方がずっといい。金だけあって退屈だと,人間余計なことを考えてそれはそれで不幸になる,というのはどっかの哲学者が言ったことだ。苦しみから解放されることイコール幸せ,ではないのだ。