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先週の木曜のPythonな忘年会,あるいはAtsuo Ishimoto伝説

先週の木曜のPythonな忘年会,あるいはAtsuo Ishimoto伝説

先週の木曜はYasushi MasudaAkihiro TakizawaToru FurukawaらとPythonicな忘年会であったわけだが,メンバーの中でもAtsuo Ishimotoと会ったのはずいぶん久しぶりであった。Atsuo Ishimotoに最後に会ったのは何年前かはっきり覚えていない。秋葉原で「Pythonのインデントは2か4か」について議論しているうちに殴り合いをして別れたのはよく覚えている。

2年も前にそこそこ大規模なPythonイベントを開催したことも知らないような新参PythonistaはAtsuo Ishimotoについてよく知らないと思う。彼が日本のPythonの歴史に残した足跡は大きく,数々の伝説を残している。

Atsuo Ishimoto伝説:1

2000年ごろ,Software DesignにてPythonの連載を打診されたが断った伝説。理由が「岩谷宏が連載をしているから(Atsuo Ishimotoは岩谷宏氏が大嫌い)」という男らしい伝説。

Atsuo Ishimoto伝説:2

Atsuo Ishimoto自作のシェエアウエアエディタKaaEditについてMLで言及したら,ライセンスキーをMLに流してくれた太っ腹伝説。その後この件について口頭で聞いたところ,「フリーウエアにするつもりだったから無問題」という太っ腹回答。


Atsuo Ishimotoの伝説はこのように枚挙にいとまがない。日本Python界に大きな足跡を残している人物であることは間違いがない。

さらに,Atsuo Ishimoto日本人として初めてかつ唯一,PEP(PEP 3138)を書いているということも指摘しておかなければなるまい。Python 3.xでリストや辞書を表示するとき日本語が化けないのはAtsuo Ishimotoの功績なのである。

私自信,第一版,改訂版とも増刷しているほど売れているPythonの定番入門書を書いた著名Pythonistaであるわけだが,そんな私にとっても,Atsuo Ishimotoは一目置かざるを得ない存在である。Python 2.4のドキュメント翻訳を精力的に推進したYasushi Masudaといい,職業,個人問わず古くからコミュニティに関わり,ステキ記事の翻訳もあるAkihiro Takizawa,Pythonのコーディングスタイルガイド PEP 8の翻訳で知られるToru Furukawaを含めた5名が集まった宴会は,少人数ながらも,いや少人数だからこそ,Python一軍忘年会のような様相を呈していたことは否めない。

残念なことに,私は急用が入ってしまった。「しじみ汁のしじみの身を食べるか食べないか」で殴り合いのけんかをしたあのころの秋葉原を懐かしく思いながら,楽しい会を中座し家路についたのであった。

2010-08-27 04:53