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ああ,それはよ〜く分かるのだよ - PythonistaとRubyistの違い

ああ,それはよ〜く分かるのだよ - PythonistaとRubyistの違い

手前味噌ですが、先日のるびまの巻頭言と比べると、Pythonな人とRubyな人の違いがよく出てるんじゃないかなあ、という気がしました。ちょっと偏見が入っていますが。
両者は、どちらの方が良いか、みたいな話ではなく、あくまで適性というか、求めるもの、目指すところの違いの話で。たぶん二人とも同じ光景を見てるんだと思うのですが、私が「1.8.6もいいけど、やっぱり1.9.1もいいよね」と表現するところを、柴田さ
んなら「1.9.1もいいけど、やっぱり1.8.6もいいよね」と表現するんだろうなあ、と。
Pythonな人とRubyな人の違い

PythonistaもRubyistも,一般的な「開発者」の総体から見ると相当に進歩的だと思う,というのが率直な感想なんだけど,進歩的な中でも,Python使いとRuby使いを比べると,「変化」に対する対応が異なるという指摘はとてもよく分かる。

Pythonistaは「変化」をあまり好まない。Rubyistは「変化」を寛容に受け入れる傾向にあると思う。すごくステレオタイプな分類だけどね。

Pythonな人なのにこんなこと書いていると,また消毒好きな人に注目されちゃうかも知れないけど,でも本当に言いたいことはそういうことじゃなくて,Pythonistaもエンジニアとしては相当に進歩的な人たちなので,Rubyistに負けず劣らず変化を受け入れる心を持っていると思うし,前に進むためには変化が必要であることをよく分かっている。

るびまの25号にある,まつもとさんがよく使う例え「オープンソースをサメに例えて,泳ぎ続けないと死んでしまう」。これと同じ事を,去年(2008年)の2月,まつもとさんがGoogleに呼ばれてお話しされたときに話している。「馬の目の前につり下げられた餌」みたいな例えを使ってもいたと思う。Guidoはこのときまつもとさんの言葉にすごく感銘を受けたみたいで,直後に開催されたPyCon 2008のキーノートでは,Guidoがまつもとさんの言葉を引用して,後方互換性を崩すPython 3.0に触れながら「Pythonにも変化が必要だよね」というようなことを言っていた。一方でGuidoは変化がもたらす痛みについてもよく分かっている。現実主義者。なので,直後に「2.x -> 3.xの移行は数年計画です」みたいなことを付け加えたりする。

まつもとさんとGuidoの例をみるとよーく分かるんだけど,RubyistaもPythonistaも心の中ではとてもよく似た「質」を持っているんだと思う。ただ,出力の仕方がちょっと違うだけ。どっちもPythonやRubyのことを同じように好きだ。たとえば,Rubyistは言葉を尽くして広めようとするけど,Pythonistaは「良い言語は黙ってても広まって行くものだから」と考えるので啓蒙はあんまり,とかそんな感じ。「PythonistaはColdで,RubyistはHot」というような分類のされ方をするけど,同じ感情の出力の仕方が違うだけなんじゃないかと思う。心の中でなんとなーく共感しているから,お互いに気になっゃうんじゃないかと思う。Rubyistからみると,Pythonistaはホントのことを言おうとしないので,しばしばイラつくことがあるのかもしれない。Pythonistaからみると,Rubyistは期待以上に饒舌なのでこれまたカンにさわることがあるのかもしれない。

僕はと言えば,HotなRubyをうらやましく思う反面,ちょっとシャイで,ものごとについてすごくよく考えているPythonistaのことがやっぱり好きだ。

2010-08-27 04:50